2008.6.18
壮絶な癌との戦いを乗り越え、自転車世界一周の旅を続ける女性。自転車のイベントや新聞・雑誌などでみなさんもよく知るシール・エミコさん。現在は夫のスティーブさんとともに奈良市郊外で半自給自足の生活を送るが、今年9月にはいよいよ世界一周最後のルートとなる日本までの旅を再開する。小柄な彼女のどこにそんなパワーが?
夫婦で自転車世界一周の旅を続ける
エミコ&スティーブ
単行本やテレビのスペシャル番組などですでに周知の人も多いはずだが、シール・エミコさんは夫のスティーブさんとともに自転車世界一周の旅を続けている。
自転車雑誌「サイクルスポーツ」の90年10月号から「MTB娘の世界一周、エミコの地球大冒険」として連載が始まり、現在も継続中。つまり世界一周のツーリングも、現在その途中にある。奈良県北東部の農村で自給自足の生活を行っているのは、ちょっとした休憩タイムだ。
山の中腹にある、100年以上経過しているような古民家を訪れると、スティーブさんとともに温かいコーヒーで迎えてくれた。小柄で優しく、やわらかな笑顔には、現在の生活が満ち足りていることがすぐに見て取れる。
玄関を入ったところにある土間にはマウンテンバイクが2台と、通勤や買い物のときに使用する自転車が2台。四季折々の植物が育てられた庭には、満開の桜がひらひらと花びらを落とす。
庭先のチェアに座ったエミコさんはそれを見ながら、「一つひとつの時間がとても大切で、今生きていられることにいつも幸福を感じている」と話す。
エミコさんがこの言葉を口にしたのには理由がある。世界一周ツーリング途中の2001年、パキスタンで癌の告知を受けた。ゴールの日本までは残り7,000kmだったが、緊急帰国し入院。余命半年と宣告され、心身ともにツラい期間が続いた。
しかし、持ち前のパワーで回復。2004年に自転車の旅を再開するのだった。
エミコさんは、自分の生命と向き合う期間が人よりも長かったのだろう。人間の人生とは何か、本当に大切なものは何かについて語るときの思いは熱いものがある。その一つには「人間は自然と共存して生きるもの」という信念がかいま見られる。
そして、自然と共存するための移動手段としてエミコさんが選んだものが自転車だった。
ナナハンから自転車へ、
スティーブとの出会い
エミコさんはもともと、1987年からピンク色のつなぎを着てナナハンにまたがって日本一周ツーリングを行っていた。ナナハンから自転車に乗り換えたきっかけがスティーブさんとの出会いだ。
1989年にオーストラリアをナナハンで旅行している時、自転車に乗ったスティーブさんと出会った。見た瞬間に「私も自転車に乗りたい!」と思った。そして、2人で自転車による世界一周旅行をすることになった。
その後はアジアをはじめ、アフリカ、ヨーロッパなど77カ国を自転車で旅をした。国によって文化、風土、宗教などたくさんの違いがあった。貧困に苦しむ国では何を買うにしても高値をふっかけられるなど、日本人あるいは小柄な女性としてみられることで不当に扱われることもしばしばだった。
そんな中でも、とある国の国境を越える際に必要な証明印をパスポートに押してもらおうとしたときのことだ。
2人の足元を見たかのように、人相の悪い役人がワイロを要求してきた。これに対してエミコさんとスティーブさんは毅然とした態度で拒否。当然のように印は押してくれない。
「絶対にお金を出すことはできない。だってお金をせしめた彼が、次の旅人にも同じことをするから。それならば…」と考えたエミコさんとスティーブさんは、国境のすぐ近くにテントを張った。
2人の目的はゴールにたどり着くことではなく、旅そのものをすることだ。だから寄り道もするし、必要とあれば費やしてもいい時間もあったのだ。
こうして時間をかけて、人相の悪い役人との対話を続けた。
人相の悪い役人は少しずつ心を開き、いろいろな話をエミコさんとスティーブさんに話すようになった。すると、役人は対話を続けていくうちに、どんどんと人柄がよくなっていった。そして、最後には2人を抱きしめ、「よい旅を…」とパスポートに印を押してくれたのだ。
エミコとスティーブには強い信念があったのだ。
お金を与えることはできない、それ以外のものならできる限り与える。そして、どんな人も大切にする。
エミコさんは、「あの役人は心がさびしかっただけ。私たちは優しさをわけてあげようと思った。そうしたらお金の亡者が、最後は優しい心を取り戻してくれた。変わってくれてよかった」とその時の思い出を話した。

シール家を訪問したのは4月中旬。桜の花が満開だった

サイクルモードをはじめとしたイベントでの講演会にも引っ張りダコ


■モデル名=キャノンデールF400
ブルーがエミコさんの、ブラックがスティーブさんの愛車キャノンデールF400。キャノンデールは担当者や社長が替わってもずっとサポートしてくれる。これ以外にもモンベル、パナレーサー、キャットアイ、ガーミンなどがサポート。家にはこれ以外にも街までの通勤や買い物に使用するクロスバイクがある。ライトやバックミラーなど身を守るための装備に万全を期しているのが特徴。
そして世界一周自転車旅行の
集大成へ
癌になり余命半年と宣告されたとき、エミコさんには死の恐怖が襲いかかった。毎日、泣いて、悲しみをこらえきれなくなった。同じ病室の、癌患者が次の日には亡くなっていくのを横目に、「次は我が身」という感情に恐ろしさを感じないときはなかった。 こうしてツラい日々を送るエミコさんのそばに、しっかりと寄り添ったのが夫スティーブさんだった。エミコさんの入院中にふたりだけで役所に行き、婚姻届を提出して入籍した。旅を始め、交際から12年でようやく夫婦になった。
あるときのこと。
「スティーブとの時間を1秒でも長く過ごしたい。そして、その時間は笑いの絶えない幸せな時間にしたい」と前向きな気持ちを持つようになった。
その瞬間から、薬が効き始めた。体調もよくなり、どんどん回復していった。そして現在、あと5年再発がなければ完治というところまできた。9月には、前回の最終到達地タイのチェンマイへ。09年4月に奈良にゴールする日を目指す。スティーブさんが世界一周を始めてからちょうど20年の節目となるという。
壮絶な人生を送ってきたエミコさん。そのそばにはいつもスティーブさんがいる。
「早く旅を再開したい。でも、自給自足生活が楽しくて、忙しくてなかなか……」
コーヒーを片手に、エミコさんと庭をゆっくり眺めると、今生きる一つひとつの時間がとてもいとおしく感じることができた。


シール・エミコさん/JACC日本国際自転車交流協会評議員。1987年、ピンクのナナハンで日本一周の旅を敢行。モーターサイクリスト誌に「エミコを探せ!」として連載。89年にオーストラリアでスティーブと出会い、世界一周自転車二人旅に。姉妹誌サイクルスポーツで「エミコの地球大冒険」と題した12年の長期連載が始まる。アジア、北中南米、アフリカ、ヨーロッパ、ユーラシアの77カ国、11年で約11万km走行。2001年、ゴールを目前に癌の告知を受け、パキスタンより緊急帰国。余命半年と告げられたものの、持ち前のパワーで04年末に旅を再開! 著書、『ガンを越え、めざせ地平線!!』(鹿砦社)。「夢と希望と勇気を!」をテーマに講演活動中。日本では、野菜づくりをしながら半自給自足生活。
ホームページ
http://www.yaesu-net.co.jp/emiko2/

スティーブ・シールさん//英語教師。本業は写真家。オーストラリア出身。8歳のころから自転車が大好きになり、それがエスカレートして1989年3月、自転車で世界一周に出発。6年で終える予定が、途中でエミコと出会い、19年たった今でも帰れない。走行距離14万km弱。日本では12km離れた最寄駅まで峠道を自転車通勤する。

土間の一角には古いかまどがあり、そこで作った食事を玄関先でいただく

母屋の軒先にて。隣接する2つの離れは現在リフォーム中だという





