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フレデリック・マニエ 日本自転車競技のナショナルディレクターに就任

「ロンドンオリンピックなら日本も勝負できる!」

自転車競技のナショナルディレクターにフランスのフレデリック・マニエ(37)が就任し、1月12日に東京の日本自転車会館で就任記者会見を行った。同氏は国際自転車競技連合(UCI)の傘下にあるワールドサイクリングセンターの強化部長を務めた実績を持つ。「1年後に迫った北京五輪では、日本短距離陣がどんな活躍を見せてくれるか楽しみ」と語る一方で、12年のロンドン五輪を視野に入れた10代の若手選手の強化、さらにはBMXによる10歳以下の子供たちの育成などに力を注ぎたいと語った。

トラック、ロード、MTB、BMXの五輪4種目を指揮

「マニエジャパン」のスタートを見届けようと、会場には50人以上の記者が詰めかけた。
 現役時代のマニエは世界選手権のケイリンで1995、97、2000年と3度の、タンデムスプリントで4度の世界チャンピオンになった経験がある。しかし現役時代から国際組織での選手育成を手がけているだけに、育成プログラムのノウハウはトラック競技にとどまらない。今後はトラック、ロード、MTB、BMXの4種目すべてを統括し、総監督としてナショナルチームを指導していく。

記者会見フルレポート

 初めまして。私はフレデリック・マニエと申します。私はこれから日本のために尽くしますので、よろしくお願いします。(以上日本語でのあいさつ)
 このあとは英語で続けさせていただきます。12月1日より正式に日本自転車競技のナショナルディレクターに就任しました。そこでまずは私から、2012年のロンドンオリンピックまでの展望と抱負を述べさせていただきたいと思います。
 ドーハでのアジア競技大会、ワールドカップ・モスクワ大会における日本選手の活躍を見て、現在の日本チームは非常にいい状況にあると思います。伏見俊昭、金子貴志など世界での経験を積んだ優秀な選手がナショナルチームの中にいます。また北津留翼、永井清史、柴崎淳のような将来有望な若い選手もいます。ベテランと若手という2つの要素をきちんとそろえているのです。
 私が目指すべきところも2つあります。最初は若い選手の育成、とりわけジュニア選手を強化していきたいこと。そしてもうひとつはJCF(日本自転車競技連盟)コーチの養成にも力を注いでいきたいことです。

ロンドン五輪までの5年間でなにをすべきなのか。

 私の目指すゴールはいくつかありますが、そのひとつは2005年の北京オリンピックで実績を残すこと。もちろんこの北京オリンピックは通過点であり、2012年のロンドンオリンピックが最終目標となります。
 5年間という与えられた時間に何をすべきなのか。例えば世界のトップに立っているオランダチームを見てみましょう。5年前のオランダはまだ実力はそれほどでもありませんでした。ところがその5年前、ジュニアクラスでは非常にいい成績を修めていたのです。その若手がそのまま台頭してきたことによってオランダが世界の頂点に君臨することになったのだと思います。
 このオランダを手本として日本もレベルアップしていきたいと思うのですが、日本には非常に有望な若い人材が豊富なことに着目しています。トラック種目だけではなくロード、MTB、BMXというオリンピック種目を重点にして、若い選手の育成を5年計画で力を注いでいきたいと思います。

BMXで日本の将来を開拓する余地はあるはずだ。

 小さな子供たちでも乗れるBMXを活用することも考えています。5〜6歳の子供たちがトラック競技をするのはまだ難しいのですが、BMXなら何の問題もないはずです。BMXで若い子供たちの能力を引き出すこと。その数年後にはBMX経験者がトラックあるいはロード種目に移行するというプロセスを考えています。

ロンドンでは女子ロード選手で勝負していきたい。

 自転車競技における成功は教育だと私は思っています。選手のみならずコーチの教育も重要なので、今後数カ月はこのあたりに着眼して活動していきたいと思っています。最終目標のキーポイントとしては、2012年までに日本の女子選手の強化にも力を入れていきたいと思っています。
 これから私はベストを尽くしていくつもりなので、みなさまの温かい応援を期待しています。そして数年後には日本のチームが世界のトップに君臨するまで頑張っていきたいと思います。

マニエ総監督への質疑応答

それほど人気のないBMXでどんな育成を?

 確かにBMXが日本で人気がないのは知っていますが、私の政策としてBMXを学校教育で取り上げたり、BMX用のトラックを作ったりと、段階を追って普及活動を行っていき、少しでも人気のあるものに育てていくことが必要だと考えています。もちろん1日でできることではありませんが、BMXを導入するというのは今後の育成のためのひとつのキーであると考えています。
 もちろん5〜6歳の子供たちが自転車に親しむことも大切です。それと同様に重要な世代もあります。北津留がジュニア世界選手権でチャンピオンになったとき、彼は15〜18歳の若者たちを相手にして勝ったわけですが、この15〜18歳の育成というのも今後のターゲットとなっていくと思います。

北京やロンドンでのメダル数など具体的な目標は

 そのご質問に答えられたらどんなにうれしいだろうと思いますが、金メダルはどの国のどんな選手も狙ってくるだけに非常に難しいものです。今私が言えることはできるだけ多くのメダルを獲得するために頑張るということだけです。

ロードやMTBにおいて5年間で世界の差をどれだけつめていけるのか

 今後の5年間で日本選手がツール・ド・フランスで優勝できるかという答えには窮するが、例えばアジア大陸で、インドや台湾のレースでは確実に優勝できるようにレベルアップしてもらいたいと思います。その準備段階としてスポンサーを募って選手を海外に派遣することを考えています。ヨーロッパの強豪選手と戦って経験を積ませること。彼らがアジアに戻ったときにその成果を見てみたいと思います。
 私の前職であるUCI、そしてワールドサイクリングセンターにおいても世界各国から多くの選手を集め、ヨーロッパで競技の経験を積ませて各国に返すというスタイルだったので、日本選手にも同じようなやり方を用いてみたいと思います。
 MTBも同様で、海外で多くの経験を積ませることが重要です。特にクロスカントリーとダウンヒルに関しては積極的に選手強化をしていきたいと考えています。

日本と世界との差は

 例えばケイリンに関しては日本の選手の方がいい環境にあるといっても過言ではありません。というのもトラック種目に限っていえば日本選手はみなプロフェッショナルで、すでに世界の大舞台で活躍しています。しかし日本の競輪では、トラック競技場の大きさも違えば、出走する選手数も違う。国際大会で勝つためには戦略やテクニックなどを海外で経験させることが重要だと思うのです。
 どの種目においても計画的にステップアップしていくことが重要です。先日モスクワで行われたワールドカップではオランダのテオ・ボスが11年ぶりに世界記録を塗り替えました。ひとつひとつの種目を精査してみると、日本選手はもう少しタイムを上げる準備をする期間が必要だと思います。

実際に現場で選手を指導することは

 もちろん実戦コーチもしていきます。現在は例えばトラック種目なら阿部良二コーチと福田公生コーチがナショナルチームを指導しているので、2人の意見を聞きながら実技指導をしていくつもりです。4種目においても私が過去4年間ワールドサイクリングセンターで行ってきたような選手ひとりひとりのプログラムを作るという仕事もあわせて行っていきたいと思います。

選手のセレクションに関する権限は

 現在私はJCFの組織やこれまでの選手育成方法を確認しています。国際大会への派遣や選手の選考方法については、まずは選手ひとりひとりをしっかりとみてJCFのやり方と照らし合わせながら的確に行っていきたいと思っています。

プロフィール

競技歴
  • 1980/自転車競技ライセンス取得
  • 1985/フランス選手権カデットクラス(15〜16歳)優勝
  • 1987、1988、1989、1994/世界選手権タンデム優勝
  • 1995、1997、2000/世界選手権ケイリン優勝
  • 1992/世界選手権スプリント第2位
  • 1992、1996、1999/世界選手権ケイリン第3位
  • 1995/世界選手権スプリント第3位
  • 1988、1992、1996、2000/オリンピック・フランス代表
  • 1985〜2000/19 のフランス国内タイトル獲得(スプリント、ケイリン、1Kmタイムトライアル、オリンピックスプリント)
  • 1993、1994、1995、1999、2000/国際競輪出場
  • 1999、2000/国際競輪チャンピオン
  • 1993、1995、1998、1999/UCIトラックワールドカップ・ケイリン優勝
  • 2000(6月)/引退
指導歴
  • 1985/パリの国立スポーツ学院入学、大学レベルの教育を受ける
  • 1987、1988/アクティブ・ナショナル・サービス(軍隊)
  • 1989/SNCF・国立公共機関でスポーツプロモーション
  • 1995〜1998/国立スポーツ学院・大学スポーツ教育者課程を専攻
  • 1998(6月)/スポーツ教育者課程を卒業
  • 1999/国立スポーツ学院の終身教育課程を取得
  • 2000(9月)/フランス自転車競技連盟・ジュニアトラックナショナルチームのコーチに就任
  • 2001〜2006/国際自転車競技連合・ワールドサイクリングセンターのトラックヘッドコーチ
  • 2001(11月)/ユーロテレビジョンにてトラック世界選手権を解説
  • 2004(5月)/国際自転車競技連合・強化部長に昇進。ワールドサイクリングセンター・トラックヘッドコーチ兼務
  • 2006(12月)/日本自転車競技連盟のナショナルディレクター就任

Frédéric MAGNE

フレデリック・マニエ
1969年2月5日、フランス・ツール生まれ
国籍/フランス
家族/既婚、子供3人
言語/仏・英・スペイン語  



ワールドサイクリングセンターとは

 2002年4月14日、ワールドサイクリングセンター(WCC)は、スイス・エーグルにある国際自転車競技連合(UCI)に隣接して置かれた。主に自転車競技者とコーチを対象とした、国際オリンピック委員会(IOC)承認のコーチングとトレーニング施設だ。

 自転車競技の発展と促進に向けた活動の一環として、未来のチャンピオンたちが彼らの競技能力を発揮できるような施設を設立できない国々から、有望な若い自転車競技者を発掘し、指導するのが主な目的。

「才能ある若者に、こういう課程に参加するチャンスを与えることが重要である。ここで経験を積んだ彼らが母国に帰って大きな刺激を与えてくれるはずだ」とUCI 強化部長だったマニエは語っている。

 45カ国から134人の競技者が、数週間から9カ月、時にはさらに長期にわたってここでトレーニングを重ねた。このうち11選手がオリンピック競技大会に参加。世界選手権には75選手が参加し、7つの金メダルを含む9つのメダルを獲得した。

 UCIが提唱するWCC構想は、各大陸にコンチネンタルサイクリングセンターを設立させ、世界各地での強化育成を行っている。アジアでは日本の静岡県・修善寺に設立され、アジアのサイクリストの強化基地となっている。

ワールドサイクリングセンター卒業生
日本人

氏 名 種 目 WCC就学期間 現在の活動
永井清史 トラック短距離 2002年1月〜11月 競輪選手S級1班<ナショナルチーム>
大森慶一 トラック短距離 2002年1月〜11月 競輪選手S級2班
北津留翼 トラック短距離 2003年10月〜2004年4月 競輪選手S級1班<JCF ナショナルチーム>=2006アジア大会・スプリント金メダル
柴崎淳 トラック短距離 2004年10月〜2005年4月 競輪選手A級3班
萩原麻由子 ロード 2006年1月〜2月 鹿屋体育大学<強化指定選手>=2006 アジア大会・女子ロード金メダル
斎藤晃一郎 コーチ 2002年1月〜11月 UCIコミッセール
西井匠 MTBコーチ 2005年7月〜8月 マウンテンバイクコーチ

就任記者会見でのマニエ(左)。右はマニエが指導したことでアジア競技大会で金メダルを獲得した北津留翼

2007年 1〜9月 競技大会スケジュール予定

  • 1月19日〜21日=トラックワールドカップ第3戦(アメリカ・ロサンゼルス)
  • 2月23日〜25日=トラックワールドカップ第4戦(イギリス・マンチェスター)
  • 3月2日〜4月1日=トラック世界選手権(スペイン・マジョルカ島パルマ)
  • 3月29日〜31日=アジア選手権(アラブ首長国連邦・ドバイ)
  • 6月9日〜10日=トラック・アジアカップ(福島・いわき)
  • 7月27日〜29日=BMX 世界選手権(カナダ・ビクトリア)
  • 8月5日〜12日=ジュニア世界選手権(メキシコ・アグアスカリエンテス)
  • 9月3日〜9日=MTB世界選手権(イギリス・フォートウィリアム)
  • 9月26日〜30日=ロード世界選手権(ドイツ・シュツットガルト)

1990世界選手権 日本の高校生コンビに2度負けているマニエ

 日本ナショナルチームの総監督に就任したフランスのフレデリック・マニエはケイリンで3回、タンデムスプリントで4回の世界チャンピオンになった実績がある。自転車選手として走る一方、国立大学でスポーツ指導やコンサルティングを学んだエリートで、国際自転車競技連合の強化部長というポストを捨てての来日だった。
 これまでマニエは国際競輪のために何度も来日し、日本文化に触れてこの国が大好きになったというが、当初の印象は決していいものではなかったはずだ。1990年にグリーンドーム前橋で開催された世界選手権。2人乗りのタンデムスプリントで4連覇をかけて臨んだマニエは、日本の高校生コンビに2回も負けているからだ。
 この種目はまず予選としてタイムトライアルを行って1回戦の対戦相手を決める。一番強いコンビが弱いコンビに当たるようにだ。3年連続の世界チャンピオンであるマニエ組は当然のように1番時計をたたき出した。こうして1回戦の相手は予選をぎりぎりで通過した地元前橋工高の稲村成浩と山形電波高の斎藤登志信という日本勢に決まった。
 しかし1回戦で怖いもの知らずの高校生コンビにまさかの敗退。敗者復活戦に回って勝ち上がってきたが、準決勝で再び高校生コンビと対戦し、奈落の底に突き落とされた。マニエは最終的にメダルに届かず4位。1回戦で大金星を挙げて自信をつけた高校生コンビは、日本自転車競技史上に残る銀メダルという殊勲を打ち立てることになる。
 現在は駒沢公園の近くに居を構え、7月にはフランスから家族も呼ぶ。ロンドン五輪までの5年間は長いようで時間がないかもしれない。日本という異国の地で彼が思い描く夢は実現できるのか。日本自転車界は彼の功績によってどう変わっていくのか。サイクルスタイルではその課程を追い続けていきたい。

(サイクルスタイル・山口和幸)

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